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产经新闻和联合早报携手演出闹剧

Monday, October 31st, 2005

产经新闻和联合早报携手演出闹剧
郑若思
刚才,我从日本众议院议员、民主党国对委员长野田佳彦的公式网页找到了日本政府给他的答辩书全文。这篇答辩书里根本没有“日本国内不存在战犯”的文字,所谓“日本政府改变立场”,无非是朝思暮想推翻历史审判的产经新闻的一次拙劣的炒作而已。
无独有偶,产经新闻的炒作恰恰投合了联合早报符某人的胃口,于是一出以讹传讹的闹剧被大汉子网友搬演到了本坛,现在终于到了回归基本事实的时候了。大汉子网友不相信二鬼子的翻译也罢,不妨使用微软的翻译软件,因为无论是谁,翻译出不符合您的口味的译文,都会被认为是二鬼子。
证据如下。为阅读方便,我把答辩书提到了前面。
链接:
http://www.nodayoshi.gr.jp/report/inpage/news_04.html
平成十七年十月二十五日答弁書 内閣総理大臣小泉純一郎
一の1について
日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)第十一条は、極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、同裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び我が国の勧告に基づく場合に赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限を行使することができることにつき規定しており、また、その他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者については、各事件について刑を科した一又は二以上の政府の決定及び我が国の勧告に基づく場合に赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限を行使することができることにつき規定している。
一の2について
平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出獄が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。
一の3から5までについて
お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。
お尋ねの重光葵氏は、平和条約発効以前である昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部によって恩典として設けられた仮出所制度により、同年十一月二十一日に仮出所した。この仮出所制度については、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与されていたものである。
また、お尋ねの賀屋興宜氏は、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律により、昭和三十年九月十七日、仮出所し、昭和三十三年四月七日、刑の軽減の処分を受けた。この法律に基づく仮出所制度については、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行を受けている者を対象として、刑務所の規則を遵守しつつ一定の期間以上服役した者に実施していたものであり、また、この法律に基づく刑の軽減については、刑の執行からの開放を意味するものである。
お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続きもとられていない。
そして、重光葵氏及び賀屋興宜氏については、昭和二十七年四月二十八日、平和条約の発効及び公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和二十七年法律第九十四号)の施行により、選挙権、被選挙権などの公民権が回復され、その後、衆議院議員に当選し、国務大臣に任命されたものである。また、重光葵氏については、昭和三十二年一月二十六日の死去に際し、外交の重要問題の解決に当たった等の功績に対して、勲一等旭日桐花大綬章が死亡叙勲として授与されたものである。
一の6について
靖国神社の行う合祀は、宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としては、合祀についていかなる問題があるのかお答えする立場にない。
靖国神社に内閣総理大臣が参拝することにいかなる問題があるかとのお尋ねについては、法的な観点から申し上げれば、かねて述べているとおり、内閣総理大臣の地位にある者であっても、私人の立場で靖国神社に参拝することは憲法との関係で問題を生じることはないと考える。また、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝(内閣総理大臣が公的な資格で行う靖国神社への参拝をいう。)についても、国民や遺族の多くが、靖国神社を我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、靖国神社において国を代表する立場にある者が追悼を行うことを望んでいるという事情を踏まえて、専ら戦没者の追悼という宗教とは関係のない目的で行うものであり、かつ、その際、追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく追悼行為としてふさわしい方式によって追悼の意を表することによって、宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、憲法第二十条第三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはないと考える。
二の1について
極東国際軍事裁判所の裁判については、御指摘のような趣旨のものも含め、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。
二の2について
極東国際軍事裁判所において被告人が極東国際軍事裁判所条例第五条第二項(a)に規定する平和に対する罪等を犯したとして有罪判決を受けたことは事実である。そして、我が国としては、平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。
二の3について
ラドハビノッド・パール氏については、従前から世界の平和と正義を守る精神を強調し、これがため努力を傾倒している業績に対し、昭和四十一年十月四日、同氏の来日を機会に、勲一等瑞宝章が贈与されたものである。
二の4について
平和条約第十一条は、前段の前半部分において、我が国が極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾することを規定しており、これを前提として、その余の部分において、我が国において拘禁されている戦争犯罪人について我が国が刑の執行の任に当たること等を規定している。このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである。
2005年10月17日
「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書
及びそれに対する10月25日答弁書
十月十七日、小泉総理は靖国神社の社頭参拝を行ったが、これに対して各方面から批判が上がっている。
内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する理由として挙げられるのが、「A級戦犯」という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に内閣総理大臣が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理である。中国ならびに韓国からも同様の理由で、内閣総理大臣の靖国神社参拝に関して反対が表明されている。
小泉総理は、今年六月二日の予算委員会において、参拝の理由を「軍国主義を美化するものでもないし、日本が軍事大国になるために行っているのではない。この平和のありがたさをかみしめよう、二度と国民を戦場に駆り立てるようなことはしてはいけない、そういう気持ちを込めて」と述べると同時に、靖国神社に合祀されている「A級戦犯」を「戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べている。
小泉総理が「A級戦犯」を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない。
極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第十一条ならびにそれに基づいて行われた衆参合わせ四回に及ぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。すなわち、「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる。
極東国際軍事裁判で「A級戦犯」として裁かれた人々の法的地位を誤認し、また社会的誤解を放置しているとすれば、それは「A級戦犯」とされた人々の人権侵害であると同時に、内閣総理大臣の靖国神社参拝に対する合理的な判断を妨げるものとなる。内閣総理大臣の靖国神社参拝は国際政治的な利害を踏まえて最終的な判断がなされるべきだとしても、「A級戦犯」に対する認識を再確認することは、人権と国家の名誉を守るために、緊急を要すると考える。
従って、次の事項について質問する。
一.「戦犯」の名誉回復について
1極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第十一条において、「これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づくの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基づくの外、行使することはできない」とある。これは、日本国政府が勧告し、さらに刑を課した国ならびに極東国際軍事裁判所の場合は裁判所に代表者を出した政府の過半数が決定すれば、拘禁されているものは赦免、減刑、仮出獄されるという意味に相違ないか。
2 昭和二十七年五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈について変更が通達された。これによって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなった。さらに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部が改正され、戦犯としての拘留逮捕者を「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給することとなった。これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが、現在の政府の見解はどうか。
3 昭和二十七年六月九日、参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、同年十二月九日、衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和二十八年八月三日、衆議院本会議においては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決され、昭和三十年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされた。サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。赦免・釈放をもって「戦犯」の名誉は国際的にも回復されたとみなされるが、政府の見解はどうか。
4 「A級戦犯」として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理・外相となり、国連加盟式典の代表として戦勝国代表から万雷の拍手を受けた。また、それらの功績を認められ勲一等を授与されている。同じく終身刑とされた賀屋興宣は池田内閣の法相を務めている。これらの事実は「戦犯」の名誉が国内的にも国際的にも回復されているからこそ生じたと判断できる。仮にそうではなく、名誉が回復されていないとするならば、日本国は犯罪人を大臣に任命し、また勲章を与えたということになるが、政府はこれをいかに解釈するか。
5「A級戦犯」として受刑し、刑期途中で赦免・釈放された重光葵、賀屋興宣らの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東條英機以下七名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した五名、判決前に病のため病院にて死亡した二名もまた名誉を回復しているはずである。仮に重光葵らの名誉は回復されており、東條英機以下の名誉は回復されていないと政府が判断するならば、その理由はいかなるものか。
6すべての「A級戦犯」の名誉が国内的にも国際的にも回復されているとすれば、東條英機以下十四名の「A級戦犯」を靖国神社が合祀していることにいかなる問題があるのか。また、靖国神社に内閣総理大臣が参拝することにいかなる問題があるか。
二.極東国際軍事裁判について
1日本が受諾したポツダム宣言には、「戦争を起こした人間を裁く」とは一切書かれていない。また、弁護団の一人であった清瀬一郎弁護士は、「(ポツダム宣言の時点において)国際法のどこを見ても先進国のどこの法律でも『平和に対する罪』『人道に対する罪』という戦争罪など規定していない。だからA級といわれる戦争犯罪などは存在しない。もしあるとしたら、その管轄はどこにあるのか」と質問しているが、これに対してウェッブ裁判長は「いまは答えられない。あとで答える」と述べている。すなわち、「平和に対する罪」「人道に対する罪」に該当する「A級戦犯」とは、極東国際軍事裁判当局が事後的に考えた戦争犯罪の分類であり、法の不遡及や罪刑法定主義が保証されず、法学的な根拠を持たないものであると解釈できるが、政府の見解はどうか。
2「A級戦犯」が法学的に根拠を持たないとすれば、「A級戦犯」はそもそも戦争犯罪人に該当しないと解釈できるが、政府の見解はどうか。
3日本政府は、昭和四十一年に、極東国際軍事裁判の裁判官の一人として、同裁判の判決を全面的に否定したインドのパール判事に対して勲一等瑞宝章という、他の極東国際軍事裁判経験者には与えていない高ランクの勲章を与えているが、これはいかなる理由であるか。
4昭和二十六年十月十七日、衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄外務省条約局長はサンフランシスコ講和条約は「日本国は極東軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所によってなした判決を受諾するということになっております」と答えている。また、同年十一月十四日には、大橋武夫法務総裁が衆議院法務委員会で、「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事案に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受け入れるという意味であると考える」と述べている。
一方、昭和六十一年に当時の後藤田正晴官房長官が、「裁判」を受け入れたとの見解を示して以来、現在の外交当局の見解も後藤田見解と同様となっている。
判決あるいは裁判の効果を受諾したとする場合、裁判の内容や正当性については必ずしも受け入れないが、その結果については受け入れたと解釈できる。一方、裁判を受諾したとする場合は、日本は「南京大虐殺二十数万」や「日本のソ連侵略」等の虚構も含め、満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという解釈を受け入れたことになる。
日本政府が見解を変えた理由は何か。
右質問する。
野田佳彦

[ZT]莫洛托夫秘谈录

Monday, October 31st, 2005

作者:阎克文
维亚切斯拉夫•米哈依洛维奇•莫洛托夫,作为一个时代的象征,他不仅同苏联的历史密不可分,而且同二十世纪中几乎一半时间的世界历史密不可分。虽然他至死也未能走出那位身材矮小的巨人所投射的血腥阴影,但他却是那些有幸直接参与创造历史、摆布人类命运的有数几个“大腕”之一。在他被迫退出政治参与之后,特别是在他生前的最后十七年中(1969—1986),回顾历史成了他的主要生活方式。大概是逃脱了斯大林毒手残酷威胁的缘故,也大概是好不容易才当上了无休无止的宫廷倾轧的旁观者,他的回忆显得相当直率坦诚,他常常使用经验式的人文语言叙事论人和进行价值判断,从而避免了使用僵硬的意识形态行话有可能造成的理解障碍,也从而给阿隆的名言提供了一些所谓”价值中立”的证据,而这样的证据总是很难得的,尤其是从莫洛托夫们那里。我们可以从两个方面解读一下这些证据,一是国际方面,一是国内方面。
一、 关于世界革命
根据意识形态的要求,莫洛托夫认为他毕生的事业主要是巩固社会主义制度,要在“一国建成社会主义”。但苏联一诞生就处在帝国主义的包围之中,那么削弱帝国主义的阵地就是题中应有之意。怎么破题呢?“作为外交部长,我的任务就是尽量扩大我们祖国的疆域。我和斯大林在完成这件任务上似乎干得不错。”(见该书p1。以下凡出自该书的引语,均只注明页码。)因为成果是明摆着的,”我们1939年和里宾特洛甫决定了波罗的海沿岸国家、西乌克兰、西俄罗斯和比萨拉比亚的问题。””从来不属于俄国”的奥地利领土契尔诺维茨”转归了我们,……所有的人都因为契尔诺维茨而惊喜雀跃。”(5)芬兰差一点并入俄国版图,不过”那里的人非常非常顽固”,居然把入侵的苏军痛殴了一顿,于是,”我们没能使它成为民主国家。”(3)此外,为了让波兰人”把我们认为应当无条件属于苏联的那部分波兰领土给我们”(3),苏联红军挥师西进,在布列斯特-里托夫斯克与纳粹军队胜利回师,波兰第三次从历史上消失了。
西方舆论界根据莫洛托夫的饮食习惯,给他出色的外交努力送了一个雅号:莫洛托夫的萨拉米熏肠,即成块切割欧洲,将其并入苏联。对此,莫洛托夫颇为自得,“对,这也可以说是政策,别的更好的政策我们暂时还没想出来。……萨拉米熏肠是一种猪油香肠,我非常爱吃,味道极佳。”(96)这种政策在战后获得了更加显著的成就,苏联以外的大概三分之一欧洲版图划入了苏联势力范围,不同于战前的只是,这是以同样残酷但却不那么生硬和笨拙的方式办到的,程序也较为复杂一些,而在战前,大都是把人家的外交部长或国防部长召来,交给他一份”合并声明”,然后由莫洛托夫说一声”您要不签字与我们合并,您就回不去了”(2),事情就结了。
在欧洲以外的地区,莫洛托夫也毫不含糊,只是成就没那么突出。早在1940年,莫洛托夫就向希特勒提出了土耳其海峡问题,意在为俄国在黑海找到出海口,得到了希特勒赞同(93-94),但还没来得及动手就爆发了战争,顾不上了;”到战争末期,我们向土耳其提出要控制达达尼尔海峡,土耳其不同意,邻国也不支持”,于是便硬往里闯,没想到”当我国军舰驶进海峡的时候,英国已早有准备……”(93)战争一结束,苏联便正式”提出要这里的控制权”,理由竟然是”纪念苏军取得的胜利”,还要”和土耳其共同守卫博斯普鲁斯海峡”,斯大林指示莫洛托夫:”给他点压力,共同控制。”
莫洛托夫颇感为难:“人家不干。”
“你要求嘛!”(94)
当然,也只能要求要求而已,“我们及时退了回来,否则会把我们当侵略者,群起而攻之。”(95)不仅如此,”我们还想要靠近巴统的一片地区,因为这片土耳其境内的地区过去曾有格鲁吉亚居民”(95)。靠近阿塞拜疆和亚美尼亚的土耳其领土也被纳入”还想要”的范围,理由都差不多;为了”使阿塞拜疆共和国国土扩大一倍”,还曾试图”要求合并伊朗”,”我们开始提出问题进行试探,(结果)没人支持……沙皇政府已经攫取了俄国周围的地区,我们应当十分谨慎,但是要吓唬一下,好好吓唬一下。”(95)
“战后,我们需要利比亚,斯大林说,‘给点压力!’”但很显然,办这事“难以找到根据”,只好硬找,“在一次外长会议上,我提出,利比亚发生了民族解放运动……我们想给以支持,在那里建一个军事基地。”这下把个英国外交大臣贝文气得直喊:“精神病、精神病、精神病、精神病!”据说还打了一针大概是镇静剂之类的东西。(95)
最具想象力的大概是“想把阿拉斯加要回来”,幸好“没越雷池一步,……(因为)还不到提出这一任务的时候。”(91)
在亚洲,干得最利索的大概是占领千岛群岛,二话没说就划进了苏联的地盘;最麻烦的大概是朝鲜,“我们本来不需要这场战争,是朝鲜强加给我们的。”(95)
最简捷的大概是蒙古,乔巴山“死后应该任命一个人,有人提出丹巴,我观察了这个丹巴……他是个狡猾的蒙古人……不会说俄语,……这一点就足以说明他不适合当领导……”,于是“决定任命泽登巴尔”。(107-108)
最客气的大概是对中国,主动放弃了在东北的存在,原因是“我们已经占有了许多,可这是另外一件事。”(92)
显然,彼得大帝开创的俄罗斯对外政策传统在莫洛托夫的意识中根深蒂固,以至沙皇们好象也表现出了什么什么先锋队们的高瞻远瞩:“很好,沙皇给我们征服了这么多土地,现在我们和资本主义斗争就比较容易了。”(1)虽然莫洛托夫对斯大林之后的历届苏联领导人统统抱着轻视、蔑视、敌视的批判态度,但惟独在这一点上矢忠不渝。就在瓜分波兰十五个月之后,希特勒对莫洛托夫抱怨:”怎么会成这样呢?那么一个英国,就靠那么几个倒霉的岛子就拥有半个世界,还想攫取全世界–这可不行!这不公平!”这得到了莫洛托夫的强烈共鸣:”这当然不行!也不公平!我很同意他的意见。”(10)四十年以后,团结工会乍起,他立刻感到揪心:”我们不能失去波兰,(否则)我们会为此吃苦头的。”(70)当阿富汗已明显成了无底洞的时候,他仍然语重心长地呼吁:”我们不能失去阿富汗……”(102)
应当由衷地感谢莫洛托夫,他的坦诚使我们立刻就能理解一个被国际共运的官方意识形态语言长期粉饰的事实:他在谱写一部新的强权政治史。不同之处在于,前现代的强权政治大体上都是赤裸裸的,一般不加什么遮掩,至少还显得很诚实,而这种新的强权政治却雕琢了一整套天花乱坠的意识形态牌坊,我们对此早已烂熟于心,但是,这也埋下了一个迟早要发作的政治隐患:要么使新强权政治因陶醉于意识形态幻想而丧失现实感,要么使意识形态因无法面对现实而沦为笑柄。一段人所共知的历史可以作为小注。
斯大林苏联和希特勒德国在切齿相向了几年之后,1938年8月23日,出人意料地订立了互不侵犯条约,这是一大笔肮脏交易的合同书。希特勒的想法很简单,就是为了给十天以后可能发生的西线战争解除东顾之忧。斯大林的说法就比较冠冕堂皇了:一、英法帝国主义正在想尽办法挑动希特勒打击社会主义苏联,不能让他们的阴谋得逞,因此必须改善苏德关系。二、即使英法同德国发生战争,那也是帝国主义战争,而在帝国主义彼此消耗力量的时候,社会主义的祖国将在和平条件下养精蓄锐,然后就有机会进行有利于世界革命的干预。于是,在这种云山雾罩的价值判断基础上,苏德关系便突然间上了一个新台阶,对此,人家帝国主义者丘吉尔倒是给予了充分的理解:”为了苏维埃的利益,可以说,苏联亟需将德军的出发阵地西移,以便赢得时间,并能在本国的广阔领土上调集军队。如果他们的政策冷静慎重的话,那么在那个关头,这个政策会是极为可行的。”(19)其实,斯大林-莫洛托夫自然也有着非意识形态的现实考虑:”我们需要推迟德国的进攻,……我们害怕自己挑起战争,授人口实,……当时所做的一切,就是不给德国人以发动战争的借口。”(21)这”所做的一切”也包括试探与英法结盟的可能性,但是由于对英法怀有无法消除的猜疑,关键是由于和希特勒似乎更易于灵犀贯通,而且希特勒出的价钱也更高更快更解人意,于是,斯大林-莫洛托夫便在大战前夕断然踢开了英法帝国主义,从而使英法丧失了本有可能得到的第二战场,苏联则得到了喘息时间。不过这样干的结果也是明摆着的:在遭到德国进攻时也没有一个第二战场来帮助苏联自己了,因为苏联的落井下石几乎把英法逼上了绝路。不仅如此,苏德关系的戏剧性变化也害苦了唯莫斯科马首是瞻的欧洲各共产党。
法共在8月23日以前还高傲地自称站在反法西斯的最前线,现在却不得不把仇恨集中发泄在波兰地主身上,并为苏联伙同纳粹瓜分波兰声辩,鼓动大家与希特勒媾和。及至法国被打垮,法共也上了一个新台阶:它力图把1940年和1917年等同起来,醉眼朦胧之间似乎看到了历史即将重演–当德军粉碎了俄国帝国主义时,布尔什维克革命发生了;现在,德军又粉碎了法国帝国主义,因此,其结果必然是共产主义在法国的胜利。6月25日,法共甚至致函纳粹军队驻巴黎司令部的宣传科领导干部,自称是唯一坚决反对对德战争的法国政党!
这时已处于地下状态的捷共所持的态度更让人啼笑皆非:他们揭露流亡总统贝纳斯的追随者所犯下的主要罪行之一是,“在捷克居民中散布对穿着军装的德国工人的仇恨”!真是令人绝倒!按照这种逻辑,中华民族耗费数千万人的血肉去抗击穿着军装的日本工人,同样有违“工人无祖国”的泊来祖训。这是一种什么意识形态呢?
二、 关于国内革命
莫洛托夫坚定不移地指出,“我们的思想就是用社会主义革命推翻资本主义,这就是我们的意识形态。”(497)恢弘博大而言简意赅。自然,革命要由人来干,自然也要干人,这都天经地义。问题在于,什么人来干,来干什么人,还有,怎么干。这些问题在莫洛托夫们的理论上似乎早有完备的答案,不过一旦动手干起来,事情就麻烦多了。多亏莫洛托夫直言相告,才使我们了解到一些过去想象不到或不大愿意想象的意义。
职业革命家加上一定程度的社会动员,革命的主观愿望便催化出了客观现实。莫洛托夫的回忆使人强烈感到,革资产阶级的命几乎易如反掌,困难在于革那些革过资产阶级命的人的命,因为卷入阶级对抗的资产阶级有着一目了然的社会经济背景,而后一种人的背景主要是心贼(419页及”关于肃反”一章),所以莫洛托夫最为苦恼的就是,”我们不得不与那些现有的人、而不是与我们所希望的人一起”从事革命伟业(227),表明了道德理想与当下现实的矛盾。莫洛托夫不厌其烦地告诫或暗示,真正彻底的革命家只有三位:列宁、斯大林和他本人,其他所有的人都只能凑合着加以利用,”一旦需要,当然就应立即一脚踢开”(525)。工人作为一个阶级,似乎不大好踢,于是”我们榨干了他们最后的血汗”,以使他们乖乖地效力于革命(367);同时也必须”牺牲农民的利益,……只有向农民索取,才能继续前进。”(251)而知识分子除了”庸俗之辈”就是”非党废物”,连凑合着用的价值都不大(散见于多处,不易枚举)。显然,这和那些口头禅式的”人民当家作主”啦、”工农联盟”啦、”团结一切可以团结的力量”啦等等甜言蜜语相比,尽管令人胆寒,倒是说出了革命的内在逻辑,可惜我们知道得太晚了。当然,工人农民知识分子问题属于社会政策范畴的问题,我们着重看看政治领域中的情形。
政治是什么,很难给出一个面面俱到的定义,但是有一个东西大概是任何定义都无法回避的,那就是权力。无需或不追求权力也能运转的政治,仅仅在无政府主义或乌托邦那里存在过,不足为训。因此,这里的关键是,少数真正彻底的革命家如何才能经常保持领导权以推动革命不断前进。莫洛托夫毫不含糊地认为,只有两个办法,一是“辩证唯物主义的民主集中制”(476),二是”左右开弓,大加杀伐”(401)。
关于民主集中制,莫洛托夫是这样描绘的:在“一个渐进的过程”中实现“少数开除多数的原则”——“70人开除10至15人,然后是60人再开除15人……这就实际形成一种结局,中央委员会中,排除了多数,留下了少数,但又没有违背少数服从多数的原则,因而也就没有违背民主集中制的程序……”。莫洛托夫指出,这”决不是少数人推翻多数人”,而是”清除路障”(476)。”您看看列宁,……他知识渊博、懂得科学、智慧过人、坚如磐石”,虽然”他身边有过非常有才干的人,可是全都不中用,随便可以举出哪个人为例。”(216)谁呢?普列汉诺夫,波格丹诺夫,托洛茨基,季诺维耶夫,加米涅夫,布哈林,古比雪夫,李维诺夫,契切林,托姆斯基,鲁祖塔克……可这些人都是革命元老,都不服斯大林的气,”列宁死了,他们都还在,所以斯大林的处境很困难。”(25)”要在那种千夫所指的条件下坚持下来,……当然需要忍耐。”(411)于是,民主集中制发挥了作用,最后是”留下了少数”,”任何反对派都没有了,这样就轻松多了”(406)而”列宁活着的时候就没有别的出路,只是没完没了的争论”(407)。当然,彻底解决这个问题还要使用第二个办法。
关于专政。托洛茨基曾经抨击斯大林主义说,旧有的原则是不劳动者不得食,新的原则则是不服从者不得食。无怪乎托氏被打倒、流放并死于利斧之下,他太书生气了。在莫洛托夫们看来,十月革命“差不多过去七十年了,敌人还到处都是”,更何况当初(561)!这显然要比”百分之九十五以上都是好的或比较好的”的匡算准确得多,作为决策依据也充分得多,因为人人都有心,有心就可能有心贼,因此,从革命的立场来看,不仅不服从者不得食,仅仅被怀疑成不服从者也不得食,甚至不得性命。莫洛托夫告诉我们,同后者的斗争,时间更长,规模更大,程度更烈,因为这种人太多,几乎每个活人都是革命的潜在敌人,又不可能一个一个去摸透他,只好看中一个消灭一个,杀掉再说,”即使是从拿破仑时代就入党的又有什么用?”照例杀无赦(410)。于是,屠戮高潮迭起,无数人头落地。至于证据,”当我们认为他们有罪、他们是敌人的时候,还需要什么罪证!”(416)这种革命也被几代中国人亲身经历过,只是没有听到那些真正彻底的革命家们的类似表白,他们只顾一路杀将过去,直到闹得不象话了,便临时出来个头面人物道个小歉,或者抛出个什么替身搪塞一下众怒,喘口气儿再接着杀接着整。然而,就是这个杀法,”赫鲁晓夫分子还是躲了过去,米高扬之流还是躲了过去”(402),说明”我们斗争不力,……没有把所有的混蛋全都打死。”(215)相信我们这里那些没大有人性的革命传人听了这话一定会极为振奋,下回再弄场革命出来一定接受如此沉痛的教训!
说老实话,我把这本《秘谈录》仔细读了两遍,这才不大情愿地相信了莫洛托夫不是在开玩笑或者跟什么人说赌气话。简言之,他向我们和盘托出了一种的确是史无前例的乌托邦革命的精神本相,堪称解读他们特制的理想主义意识形态的直接证据。这意味着什么呢?这种把人类或人民的“解放”、“幸福”等等作为政治目标兼道德理想的革命,显然是以“至善论”的道德功能作为自身的政治合法性基础和社会动员的投标书,这样才能使革命家甚至普通的革命者好意思自诩是什么什么人的先锋队,是什么什么特殊材料铸成的,是最有远见的,有着先天的伟大光荣正确性。但是莫洛托夫所坦陈的这类革命化政治,即使按照革命本身的道德标准去评判,也很难说有什么道德可言。这个问题曾使无数善良的人们困惑不已乃至绝望不已。不过事实已经证明,问题的症结在于,无论是革命者还是旁观者,早就应当摆脱一个认识论误区,就是说,根本不能从道德角度去评判革命及革命化政治,因为,“在政治斗争中什么手段都是可能的”(193)。这就意味着,革命及革命化政治随时都可能打破任何道德底线。事实上,单从谋取成功这个意义上说,这个原则适用于古往今来的一切革命及革命化政治乃至一切政治。然而重要的是,莫洛托夫们的革命及革命化政治与别人的不同,它宣称的是要彻底结束人间的一切苦难,在地上建立一个终极性的天堂,自然也是一个道德至善的天堂。不过事实已经同样证明,如果政治上不择手段却又坚持以道德化的意识形态标准进行自我评价,这将不可避免地导致大规模的信誉破产,从而引发革命与革命化政治本身的危机,这种先例我们已经目睹了许多,今后恐怕还有机会目睹,这肯定不是好事。
无疑,世界并没有改善到我们能够无视革命与革命化政治的程度,但也确实已经发生了足够多的变化。瞻前顾后一下,我们可以看得比较清楚了:没有现实感的理想主义政治是找不到出路的,而没有理想性的现实主义政治则有违道德。在两者之间纵横捭阖,至少从现代以来,似乎只能依靠法治,而且是自由主义的民主法治。如果说这个办法不算太好,但至少可以肯定地说,在人类迄今所做的种种努力之中,其他办法更坏。
《莫洛托夫秘谈录》(社科文献出版社1992年出版)

东海一枭:风花雪月

Monday, October 31st, 2005

东海一枭:风花雪月

望断天涯
终于 风从梦中来
挟着云雨霹雷
以压城之势
席卷而来
渐近渐小 风到城头
尘埃不起
风到阳台
款款地掀了掀窗帘一角
就消失了

少年看花,杜鹃满山红艳艳地大叫
青年看花,桃李在少女的脸上盛开
中年看花,红梅零落断桥边
老年看花,野菊淡淡竹篱旁

十几年没见过雪了
如果今年冬天回去
不知能否找到
当年在院子里亲手创造的
那个雪儿
2005-10-31

四季之外
万物之外
所有眼睛之外
眯缝着或圆睁着
静静地凝望
望穿历史的悠久
宇宙的迷茫
望穿我的虚浮狂躁混沌
夜夜把阴影
从我身体里释放出来
淀沉我升华我淡化我
成为一片薄薄的月光
一只最清醒的眼睛
一道深幽的宇宙诗
唯有沉默
才是最深刻的理解
月亮月亮
让我们夜夜相约寤寐相亲
静静地让我们以湖的澄明
感应你的清音

东海一枭:风花雪月

Monday, October 31st, 2005

东海一枭:风花雪月

望断天涯
终于 风从梦中来
挟着云雨霹雷
以压城之势
席卷而来
渐近渐小 风到城头
尘埃不起
风到阳台
款款地掀了掀窗帘一角
就消失了

少年看花,杜鹃满山红艳艳地大叫
青年看花,桃李在少女的脸上盛开
中年看花,红梅零落断桥边
老年看花,野菊淡淡竹篱旁

十几年没见过雪了
如果今年冬天回去
不知能否找到
当年在院子里亲手创造的
那个雪儿
2005-10-31

四季之外
万物之外
所有眼睛之外
眯缝着或圆睁着
静静地凝望
望穿历史的悠久
宇宙的迷茫
望穿我的虚浮狂躁混沌
夜夜把阴影
从我身体里释放出来
淀沉我升华我淡化我
成为一片薄薄的月光
一只最清醒的眼睛
一道深幽的宇宙诗
唯有沉默
才是最深刻的理解
月亮月亮
让我们夜夜相约寤寐相亲
静静地让我们以湖的澄明
感应你的清音

东海一枭:风花雪月

Monday, October 31st, 2005

东海一枭:风花雪月

望断天涯
终于 风从梦中来
挟着云雨霹雷
以压城之势
席卷而来
渐近渐小 风到城头
尘埃不起
风到阳台
款款地掀了掀窗帘一角
就消失了

少年看花,杜鹃满山红艳艳地大叫
青年看花,桃李在少女的脸上盛开
中年看花,红梅零落断桥边
老年看花,野菊淡淡竹篱旁

十几年没见过雪了
如果今年冬天回去
不知能否找到
当年在院子里亲手创造的
那个雪儿
2005-10-31

四季之外
万物之外
所有眼睛之外
眯缝着或圆睁着
静静地凝望
望穿历史的悠久
宇宙的迷茫
望穿我的虚浮狂躁混沌
夜夜把阴影
从我身体里释放出来
淀沉我升华我淡化我
成为一片薄薄的月光
一只最清醒的眼睛
一道深幽的宇宙诗
唯有沉默
才是最深刻的理解
月亮月亮
让我们夜夜相约寤寐相亲
静静地让我们以湖的澄明
感应你的清音

拿出证据,回应大汉子的辱骂

Monday, October 31st, 2005

拿出证据,回应大汉子的辱骂
郑若思
大汉子网友前日贴出新加坡联合早报的报道,要本坛所谓的“日本通”出来评论一下日本政府否认远东军事法庭对甲级战犯的判决的说法。打开贴子一看,原来是早报符祝慧女士的大作,便决定去查有关报道以后再说。我专门写文章揭露这位符女士新闻造假已经有两次了,到我的文集里去可以看得一清二楚。在西方新闻界只要犯一次我指出的错误,记者必定被炒鱿鱼,只有这位符女士,数次造假被揭露还老神在在,不知这是否大汉子和邋遢道士两位老前辈讴歌的早报的“客观公正”的具体体现吗?
言归正传,我对日本政界出现的右倾化和各位一样是忧虑的,对那些逆历史潮流的举动是反对的,这些有我一向的贴子为证。但是新闻界在报道这些情况的时候,应该分清事实和观点,不能为了证明自己的观点编造事实。这些天很多网友在批评张戎和她的新书,说明什么问题呢?这并不说明大家拥护毛泽东,而是要提出这样的观点:无论怎样批判毛泽东,都要在事实的基础上进行,张戎的做法只会适得其反。同样,对于日本国内的右翼势力进行反击和批判,也必须在事实的基础上进行,否则就失去了力量。那么,联合早报的有关报道问题何在呢?
首先,日本除产经新闻外,朝日、读卖等报没有关于此观点的新闻,请你们看我贴出的《产经新闻》报道原文和日共机关报《赤旗》关于内阁会议决议的报道。日共作为左翼,对右翼的观点的敏感度要高于其他报章,你们可以看到提出“甲级战犯不是罪犯”的是在野党民主党的国会对策委员长野田佳彦,而日本内阁会议先是在回答时重复了历来的观点,即:我国根据旧金山和平条约第11条,接受远东国际军事法庭的审判,在国与国关系问题上,我国对审判没有异议。然后才有“甲级战犯的审判不是根据国内法作出的”这句话。“日本国内没有战犯”乃是产经新闻自己的解释,而不是政府见解中的一句话。
其次,联合早报社论称产经新闻代表日本政府立场,是完全没有根据的。日本五大报都是民营报纸,只有半官半民的日本广播协会可以称代表官方立场。五大报中和自民党关系最近的是读卖新闻,但是也并不是凡事都持政府立场,何况产经新闻。为了证明某个观点正确就对事实进行夸大和修改的做法,和那个为了妖魔化毛泽东而歪曲事实的张女士有何区别?为何同样的行为,放在张女士身上就是错误,而发生在联合早报就成了公正?
大汉子网友说联合早报有官方色彩,不知是什么样的官方。新加坡政府一方面支持日本加入联合国安理会常任理事国,另一方面劝中国不要成为历史的奴隶,这些都是有目共睹的,联合早报为了迎合中国读者写煽情报道,恰好和它的官方观点背道而驰。真不明白这个官方到底是什么。
对大汉子网友,我一向是尊重的,即使他在楼下辱骂我是混混,我还是把事实拿出来请他看。告诉诸位:事实是事实,观点是观点,你可以赞成符合你个人口味的观点,但是别把这些观点就当事实了。
产经新闻报道:
靖国問題で政府答弁書決定「戦犯」は存在せず公式参拝であっても合憲
政府は二十五日の閣議で、さきの大戦後、連合国によって「戦犯」とされた軍人・軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、国内法上は戦犯は存在しないとの見解を明確にした答弁書を決定した。首相の靖国神社参拝に関しては「公式参拝」であっても、宗教上の目的ではないことが外観上も明らかな場合には、憲法に抵触しないとの見解を改めて示した。いずれも民主党の野田佳彦国対委員長の質問主意書に答えた。
答弁書は「(極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した)刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と指摘。A、B、C各級の「戦犯」は、国内では戦争犯罪人とはいえないことを明確にした。
この問題で自民党の森岡正宏厚生労働政務官(当時)は今年五月、「(戦犯とされた人々は)罪を償っており、日本国内ではもう罪人ではない」と発言したが、細田博之官房長官は「政府見解と大いに異なっているので論評する必要もない」と述べていた。
また、答弁書は首相の靖国参拝に関し、「戦没者の追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく、宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合は、憲法二〇条三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはない」との見解を改めて表明した。
靖国参拝について藤波孝生官房長官(当時)は昭和六十年、「首相、閣僚が国務大臣としての資格で戦没者の追悼を目的として、靖国神社の本殿、社頭で一礼する方式で参拝することは、憲法の規定に違反する疑いはない」との政府統一見解を発表している。
首相の靖国参拝をめぐっては、大阪高裁が拘束力を持たない「傍論」で靖国参拝を「公的行為」と認定。憲法の禁止する宗教的活動に当たるとしたが、政府見解はこれを真っ向から否定した。
平成 17年 (2005) 10月26日[水] 友引
“「A級戦犯」は戦争犯罪人ではない”
民主・野田国対委員長
質問主意書で主張
政府は二十五日午前の閣議で、「A級戦犯」に関して「我が国は、(サンフランシスコ)平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」とする答弁書を閣議決定しました。
これは、民主党の野田佳彦国対委員長の質問主意書に対するもの。野田氏は、サンフランシスコ講和条約一一条や四回に及ぶ国会決議などで「『戦犯』の名誉は法的に回復されている」との立場から、「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀(ごうし)されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻している」として、政府の見解をただしていました。
野田氏は、質問主意書で、東京裁判にも言及し、「A級戦犯とは…事後的に考えた戦争犯罪の分類」「A級戦犯はそもそも戦争犯罪人に該当しないと解釈できる」として、政府の見解を質問。また、東京裁判を受諾したとすれば「日本は『南京大虐殺二十数万』や『日本のソ連侵略』等の虚構も含め、満州事変以来一貫して侵略戦争を行っていたという解釈を受け入れたことになる」などとものべています。
戦争犯罪人について靖国神社は、“戦犯はぬれぎぬであって、日本には戦争犯罪人などいない”などとして東京裁判を否定しています。
政府の答弁書は、戦犯の「名誉回復」について「内容が必ずしも明らかでなく、一概にお答えすることは困難」としながら、靖国神社に合祀された「A級戦犯」十四人は、平和条約に基づく赦免・減刑などの措置がとられていないことを指摘しています。また、「極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している」と従来の見解をくりかえしています。
原文链接:
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-10-26/2005102602_04_1.html

征联集萃(三)

Monday, October 31st, 2005

征联集萃(三)
清风徐来:
清露烹茶,清斋待客,清流赋诗,清性修身,清雅清新清远清幽,兹处堪称清净地!(清风徐来)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
听妙籁,起妙兴,提妙笔,抒妙论,伴妙容,解妙语,识妙机,明妙理,非逋客乎?(清风徐来)
道士:
一、
一鸟唱诗林,岂借酒消愁驭凤逐鹿吟梅诵松讽天谏地?(道士)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
二、
无方称王,无丹成仙,无缘种玉,无欲怜香,无悔无忧无贪无痴,何世大观无疆佛?(道士)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
三、
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
追异梦,求异念,访异域,闻异曲,体异风,审异俗,容异议,纳异端,善宰相然。(道士)
carvan:
半世混诗名,敢惹是斗非抹古刷今排同立异空前绝后,(carvan)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
小寺炊烟,小径迷踪,小儒作客,小心入画,小寂小寞小雅小怡,梵音应倦小天地,(carvan)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
居异地,触异物,交异类,识异趣,乐异曲,起异舞,爆异想,忘异己,果凡鸟矣。(carvan)
梦游有意:
养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也(老枭)
居鬼屋,听鬼言,掀鬼风,说鬼话,司鬼令,点鬼火,瞒鬼情,支鬼招,溢鬼气,修鬼功,岂非玉帝乎? [梦游有意]
zczh3:
一刻铸锦文,当博古通今去朽成奇扬长避短承前启后(zczh3)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
阳光四射:
半世澈冰心,忌惹是生非因小失大假公济私好高骛远;[阳光四射]
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来![老枭]
小草儿:
勉老枭:
终年砺刚志,愿顶雨披风扫腐说真避短向长义无反顾;
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
杨浩山远:
真心待人,真情赋歌,真眼观世,真言强国,真才真学真略真谋,当代有此真君子;[杨浩山远]
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫.[东海一枭]
附:向联坛高手求偶
征上联:
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!
征上联:
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!
征下联:
养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也;
应征联请惠寄:donhai5@hotmail.com 入选者寄赠老枭(萧瑶)诗集一册。

征联集萃(三)

Monday, October 31st, 2005

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清风徐来:
清露烹茶,清斋待客,清流赋诗,清性修身,清雅清新清远清幽,兹处堪称清净地!(清风徐来)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
听妙籁,起妙兴,提妙笔,抒妙论,伴妙容,解妙语,识妙机,明妙理,非逋客乎?(清风徐来)
道士:
一、
一鸟唱诗林,岂借酒消愁驭凤逐鹿吟梅诵松讽天谏地?(道士)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
二、
无方称王,无丹成仙,无缘种玉,无欲怜香,无悔无忧无贪无痴,何世大观无疆佛?(道士)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
三、
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
追异梦,求异念,访异域,闻异曲,体异风,审异俗,容异议,纳异端,善宰相然。(道士)
carvan:
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养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
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梦游有意:
养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也(老枭)
居鬼屋,听鬼言,掀鬼风,说鬼话,司鬼令,点鬼火,瞒鬼情,支鬼招,溢鬼气,修鬼功,岂非玉帝乎? [梦游有意]
zczh3:
一刻铸锦文,当博古通今去朽成奇扬长避短承前启后(zczh3)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
阳光四射:
半世澈冰心,忌惹是生非因小失大假公济私好高骛远;[阳光四射]
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来![老枭]
小草儿:
勉老枭:
终年砺刚志,愿顶雨披风扫腐说真避短向长义无反顾;
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
杨浩山远:
真心待人,真情赋歌,真眼观世,真言强国,真才真学真略真谋,当代有此真君子;[杨浩山远]
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫.[东海一枭]
附:向联坛高手求偶
征上联:
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!
征上联:
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!
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养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也;
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征联集萃(三)

Monday, October 31st, 2005

征联集萃(三)
清风徐来:
清露烹茶,清斋待客,清流赋诗,清性修身,清雅清新清远清幽,兹处堪称清净地!(清风徐来)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
听妙籁,起妙兴,提妙笔,抒妙论,伴妙容,解妙语,识妙机,明妙理,非逋客乎?(清风徐来)
道士:
一、
一鸟唱诗林,岂借酒消愁驭凤逐鹿吟梅诵松讽天谏地?(道士)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
二、
无方称王,无丹成仙,无缘种玉,无欲怜香,无悔无忧无贪无痴,何世大观无疆佛?(道士)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
三、
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
追异梦,求异念,访异域,闻异曲,体异风,审异俗,容异议,纳异端,善宰相然。(道士)
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半世混诗名,敢惹是斗非抹古刷今排同立异空前绝后,(carvan)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
小寺炊烟,小径迷踪,小儒作客,小心入画,小寂小寞小雅小怡,梵音应倦小天地,(carvan)
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!(老枭)
养奇花,赏奇观,读奇书,作奇文,友奇士,发奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真卧龙也;(老枭)
居异地,触异物,交异类,识异趣,乐异曲,起异舞,爆异想,忘异己,果凡鸟矣。(carvan)
梦游有意:
养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也(老枭)
居鬼屋,听鬼言,掀鬼风,说鬼话,司鬼令,点鬼火,瞒鬼情,支鬼招,溢鬼气,修鬼功,岂非玉帝乎? [梦游有意]
zczh3:
一刻铸锦文,当博古通今去朽成奇扬长避短承前启后(zczh3)
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
阳光四射:
半世澈冰心,忌惹是生非因小失大假公济私好高骛远;[阳光四射]
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来![老枭]
小草儿:
勉老枭:
终年砺刚志,愿顶雨披风扫腐说真避短向长义无反顾;
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!(老枭)
杨浩山远:
真心待人,真情赋歌,真眼观世,真言强国,真才真学真略真谋,当代有此真君子;[杨浩山远]
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫.[东海一枭]
附:向联坛高手求偶
征上联:
十年磨铁笔,誓扬清激浊推陈出新拨乱反正继往开来!
征上联:
大碗喝酒,大步走路,大笔为文,大刀抗敌,大仁大义大勇大智,此生无愧大丈夫!
征下联:
养奇花,玩奇石,赏奇观,登奇峰,读奇书,作奇文,友奇士,纵奇谈,蕴奇谋,怀奇志,真乃卧龙也;
应征联请惠寄:donhai5@hotmail.com 入选者寄赠老枭(萧瑶)诗集一册。

请支持《2005年中国杂文精选》

Sunday, October 30th, 2005

请支持《2005年中国杂文精选》
刘洪波是大陆著名杂文家,枭文《爱国主义反思》曾入选其主编的长江文艺出版社将出版《2004年中国杂文精选》。这是老枭杂文首次进入大陆杂文选本,可见刘君眼光和胆子都有过人之处,值得支持一把。今接刘君《05年中国杂文精选征稿函》,因函中有可以“将征稿函以任何方式让更多的朋友知道”字样,我就自作主张将其公开了。请杂坛高手多多支持共襄盛举吧。
一枭顿首2005-10-30
附:05年中国杂文精选征稿函
尊敬的朋友:
长江文艺出版社将出版《2005年中国杂文精选》,本人受托编选之。现向您,并希望通过您向更多的朋友们征集稿件。
大致上,您的稿件为2005年间已发表作品。您所编发的该年度作品,或者您印象深刻的本年度他人作品,也望您为在下推荐。
我希望,这一个选本能够在表达的多样性、思想的独到性上有所体现。
有少量作者反映没有收到2004年杂文精选的样书和稿费,在此向这些朋友们致歉,并请能告知我详细地址、邮政编码、电话等联系方式,我将尽快向出版社报告,并敦促落实。
不用说,您在本次推荐作品时,也会附上您的联系方式。
您的作品还需要附注发表的报刊及日期。
我盼望十天内在下面所附的邮箱中收到您寄来的作品。
如果您能将征稿函以任何方式让更多的朋友知道,我将衷心感谢您为编选工作所做的协助。
刘洪波
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